文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

<実無限>としての神 ~数、貨幣

1.発明(でっち上げ)数学の誕生

 ドストエフスキー(1821-1881)の『地下室の手記』の主人公はぶつぶつと独り言で2×2=4であることに文句を言って2×2=5であってもいいではないかと度々言い張ります。2×2=4の確実性が気に入らず、譲歩しながらも認めるのですが、人間は完全への到達は苦手なのだから「2×2=5だって時には、なかなか愛すべきものではないだろうか」などと変な妄想をするのです。

 

 それにしても諸君は、ただ正常で肯定的なもの、つまり泰平無事だけが人間にとって有利であるなどと、どうしてそれほど頑固に、いや誇らしげに確信しておられるのか?いったい理性は利害の判断を誤ることはないのか?人間は苦痛をも同程度に愛することだってありうるわけだ。いや、人間が時として、恐ろしいほど、苦痛を愛し夢中にさえなることがあるのも間違いなく事実である。

 

 ドスエフスキーの作品はこうした歴然とした公理体系をもつ数学に対する反発があるのですが、それには同じロシア人の数学者ロバチェフスキー(1793-1856)の非ユークリッド幾何学への関心があり、彼との親睦もあったというエピソードがあります。それまでのユークリッド幾何学の第五公理、「平行線は交わらない」は真と断言できるのか、これはあくまでも人間の感覚に頼っていて、どこまで行っても交わらないといっているにすぎないのです。それに対して非ユークリッド幾何学「平行線は交わる」と想定しその交差点を、《実無限》という実数として扱うわけです。よって、この数は無際限∞に続くという意味ではありません。この場合は感覚的ではなく形式的という意味での人工的であるのですが、当初の評価は、好き勝手なお遊びで非現実的な世界だとみなされていたのです。同じ人工的なものであるにもかかわらず。しかし、もう一人の遊び人である非ユークリッド幾何学創始者リーマンの「三角形の内角の総和は二直角より大である」という定理からアインシュタイン(1879-1955)の相対性理論が誕生したのです。

 

 

 中には一歩すすんで、ユークリッドの法則によるとこの地上では決して一致することのできない二条の平行線も、ことによったらどこか無限の中で一致するかもしれない、などという大胆な空想を逞しゅうするものさえある。(中略)こんなことはすべて三次元の観念しか持たない人間にはとうてい歯の立たない問題だよ。で、僕は神を承認する。単に悦んで承認するばかりでなく、その叡智をも目的をも承認する。(もっともわれわれには皆目わからないがね)それから人生の秩序も意義も信じるし、われわれをいつか結合してくれるという永久の調和をも信じる。それから宇宙の努力の目標であり、かつ神とともにあるところの道、また同時に神自身であるところの道を信じるよ。つまりまあ永遠というやつを信じるよ。      

       「カラマーゾフの兄弟

 

 

2.数学の自己生成

 この実無限=神の登場はこれ以上の超越がありえない以上世界を閉じたことになります。ただし単一体系・単一規則しか持たない共同体の閉鎖性とは違った意味で。それは内部―外部、本質―現象、真理―幻想といった二分法を無化する空間をもたらしたのです。近代合理主義、人間中心主義では神と人間の二分法でうまく切り抜けてきたのですが、天上、あるいは背後に潜んでいた実無限=神が人間界に入ってくるとこれまでの現実が一変する。ドストエフスキーの研究の第一人者バフチンの言葉を使うとカーニバル世界、デタラメさ、高貴なものと卑俗なものが混在する状況です。実は私たちが生きている世界にもカーニバル世界はあります。資本主義者社会がそうなのです。数多くの商品に共通の本質をもたらした貨幣が、そして天上か背後で体系を体系たらしめていた貨幣が実体として商品と交換されるようになると次のようなことが起こります。

 

それはちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科などなどを形成している獅子や虎や兎やその他すべての現実の動物と相並んで、かつそれらの他に、まだなお、動物というもの、すなわち動物界全体の個体的化身が存在しているようなものである。このようの同じもののすべての現実に存在する種をそれ自身のうちに包括している個体は、動物、神等などのように一般的なものである。

                『資本論』    カール=マルクス

 

もちろん動物界にそんなことが起こればパニックどころか生態系は破壊されますね。資本制社会の場合は恐慌によって一旦は壊滅してしまうのですが・・・。 

 

 話がそれましたが、19世紀に突如現れたけったいな数学によって、2千年以上も安泰とされてきたユークリッド幾何学の自明性は根底から揺さぶられ「数学の危機』と呼ばれる事態に瀕したのです。が、しかしこれまでの平面ベースのモデルを球面ベースのモデルに変換することでこれまで別々で発展してきた両体系が一致することになったのです。数学というのは器の大きい学問ですね。よって平行線が交わることを証明することができます。

 

 

地下室の手記 (新潮文庫)

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