文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

交換の原理を掘り下げる

交流、交換のパターン

  話す-聞く  共同体(暗黙のルール、掟)    

読む-書く  非対称性  (基礎の不在、市場的)

売る-買う    非対称性(価値形態論、市場 )

 今回も場所と交換(コミュニケーション)の質について書いておこう。

 

1.貨幣蓄積の本質理由

 売る立場からの逃避が売る立場(貨幣獲得の場)に立たせるというパラドクスがある。貨幣を得ることが売買という不安定な場で優位に立てるからだ。市場は貨幣を媒体に時間的空間的に取引を拡大するが、同時にそこは脅迫的な貨幣蓄積の場でもある。

 

www.legendaryletter.net

 

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 文学者としての柄谷行人によるマルクスの価値形態論の解釈は面白い。上のブログ記事でいいたいことは、「貨幣の本質は物々交換の発展の結果ではなくそれが伴う困難さを隠蔽したまま取引を成立させてしまうところにある」ということだ。信用制度での債務不履行はいうまでもないが、貨幣そのものが信用という宗教に根づいている。啓蒙家は「おカネなんて宗教なんだ」というが、それを必要とする現実がある以上それを揚棄しないと解決したことにならない。

宗教の批判は、人間が人間にとって最高の存在であるという教説で終わる。したがって、人間を卑しめられ隷属させられ、見捨てられ、軽蔑された存在にしておくような一切の諸関係を覆せという、至上命令を持って終わるのである。

              カール=マルクスヘーゲル法哲学批判」

 マルクスマルクス主義者でないのはこれでわかる。ところでひと昔前、地域通貨というものが流行した。法定通貨を補完するものも、それの代替を目指すものもことごとく失敗に終わった。宗教批判はまだ終わらないようだ。

 

 

 

2.会社=共同体関係の場

 しかし無産労働者のように貨幣獲得が市場でなく、会社組織内(ムラ)で行われると契約関係とはいえそこには隠微な支配関係ができる。<商品―市場>から<奴隷―主人>に転化するわけだ。所定の場での協業というのは安定しているのだが、ものすごく退屈で人を鬱に追い込むほど窮屈なものである。私も工場現場に従事することが多いのでわかる。単純というものはそこにいる人間の尊厳をことごとく破壊するものである。ロボットが仕事を奪うと悲観する人は多いがその仕事の場が共同体の掟に支配されているのなら彼らは人間を解放することになるのではないか。否応なく自由にしてくれるわけだ。近いうちに、独立小生産者が増えていくかもしれない。それは人を<売る―買う>の市場の場に立たせる。

 

 <売る>者は以前記事にした<書く>という行為と類似していて共通の前提を持たないため苦境に立たされる。買う立場の人間が商品の価値を決定できるように、読む立場の人間が書く側(教える側)の説明をいかようにも解釈できるのだ。

 

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 では、教える(書く)立場からの逃走はどういう形になるのだろうか。それは文字(エクリチュールを持つことに尽きる。文字が貨幣に相当するわけだからそれを得られないと情報社会では生き残れないので暗黙の了解を基にする共同体(学校、会社、ご近所)に戻るしかない。そこにアヴァンチュールがあれば別だがふつうは退屈なのだ。

 

 情報社会は簡単に検索できる便利な世界だと思うと大間違い。そこは<読む―書く><教える―学ぶ>(何度も言うが現存の学校とは無縁)という非対称的関係で苦闘してきたものが圧倒的優位で有益な情報が獲得できるのだ。

 

 

私自身、<教える>の側に立って一つの英語教材を作りました。参考文献として役立てていただければ幸いです。 

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【英文読解の実践~ 独我論】