文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

梅崎春生「幻化」を再読して

 戦後派作家梅崎春生の小説「幻化」が本棚から目に触れたのでてにとってみました。とにかく地味な内容ですが、二度目読むとジワリジワリとボディーブローのように効きます。読書メーターという読書管理サイトにも投稿した記事をここでも残しておこうと思います。

 

15年前に読んだときは消化不良でミステリー読んでいう方が刺激があった。しかし最近手に取ってみると、何かこみあげてくるものがある。 これが完成したのは1965年、梅崎自身が50年の生涯を終える時だ。この時期は日本の高度経済成長期真っ只中であったのだが彼には釈然とない気持ちがあったろう。戦後民主主義にデタラメを感じたのでは? 私もここ数年の技術革新の恩恵を受けながらも年齢のせいか少し哀愁を感じることがある。最後の「しっかり歩け。元気出して歩け」、これは職業作家、自称純文学者が生み出せる台詞ではない。

またツイッターでも

 

 これほど表現することを追い詰められた作家は現代には数少ないことでしょう。スキルとして親切にノウハウを教えてくれるものや親父の説教本は巷に氾濫してはいますが。戦後派作家には「書く」ということに真摯に向き合わざるを得ない何かがあったことは間違いない。ここには、近代的自我=主体は存在しないのです。これは頑強な構造に配置されることで存在するのですから。これまでの国体イデオロギーが崩壊しなんとなく民主主義が空虚ながらも唱えられるようになった。沼地のようなドロドロの足場でこの主人公(梅崎本人?)は懸命に倫理的であろうとしたのです。

 

 

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

 

 

 戦後大きく価値観が否応なく転換された時代に生きた作家あるいは何かを表現しようとする芸術家ほどではないが私たち50代の人間もこれまで必死で得ようとしたもの、学歴・大企業ブランドは崩れつつあります。ITはルーティン作業の代行をしてくれます。それは頭脳労働にしても同じです。10年後、ある種の虚無感に襲われることになるかもしれません。ニーチェのいうように新たな価値を私たち自身で創っていかねばいけません。クリエーティブの要素がものをいうことになるでしょう。仲介・流通が中抜きされた今は。 

 

 話がそれましたが、高度成長期と現代は似ているのかもしれません。

 今ほど、インターネットのインフラが進んでいなかった1930年代にドイツの哲学者ハイデッガーサイバネティックスというすべてを形式化するコンピューターの出現に恐怖した。彼は、結果、ナチス政権に加担することになったのですが。

 

稚拙ではありますがそれに関する英文解釈を行っています。有料ですがよければ購入して頂ければ嬉しい限りです。 

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