文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

楽しそうに見えて本当は寂しい集団

今週のお題「家飲み」

 

 

 前の記事で倫理をもつことの大切さを説きました。もう一度繰り返しますと

 

 倫理は個人に根ざしたものであるが故にそれを前提としない他者に説得、教えるという努力を伴うものでないといけない

 

 この教えるというのが難しいのです。学校の先生が黒板を使って数学の公式や英語の文法を説明しているのは私が考える教えるはありません!そして生徒も学んでいないのです。公式、文法は前提であるからです。

 

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  お正月またはもう少し前の忘年会あるいはお盆を振り返ってみてください。私の家庭ではお正月に普段食べられないようなおせち料理は有難いのですが、それ以外はものすごく退屈ですね。というのは、テレビはつけっぱなしで会話内容が両親が延々と話す私たち兄弟の幼少期のことでこれは毎年同じ話。他に話題に上がってくるのは生まれ故郷(父の事業失敗で余儀なく離れることになった)でそれを懐古するという習慣があります。マシといえるのは、今現在の仕事についてですがありふれているため刺激がありません。ただの確認にすぎない。

 

 皆さんは他にどうでしょうか。同僚、同窓生らでの忘年会その他の飲み会はやりますか?私は友達も少ないのであまり経験がありませんが、居酒屋などで騒いでいる人たちが本当に楽しいのかは疑問ですね。穿った見方をすれば、どうも寂しさを紛らすため来ているとしか思えません。この原因が、私が長い間考えてきた教えるという立場の人間がいないからですこの人がいない限り絶対刺激はない。

 

 私の好きな柄谷行人さんの根幹にある思想ですが、教えるという立場は決して安定した場所ではありません。大袈裟に言えばグループを解体する危険分子とみなされ村八分にされる恐れがある。<話す―聞く>が確認ならば<教える―学ぶ>は破壊と革新を表しているといえるでしょう。 

 

 人生の先輩と話す機会があっても、この<教える―学ぶ>を避けてきた人との会話はつまらない、時間の無駄と思うようになりました。定年退職された方が、趣味自慢として私たちにゴルフ、釣り、挙句はギャンブルを得意げに話されても辟易するだけですね。

 

 またこれは妬みになるかもしれません。ストレートに大学に入学し後は授業はほどほど、アルバイトと遊びに暮れる人。この人たちは学んでいない。先にも言いましたが無批判に黒板の文字を書き写すことには疑うという学習の基礎がないのですから。そして、大事なのは人脈づくりだとかバイトによる社会勉強が後々生きるだとかぬかすのは本当に論外です。

 

 ここまで語ると、なんとなく飲み会っていやだなあと思える人の代弁ができたかもしれません、お恐れ多くも。10年後には要らない職業がいろんな分野で出てきます。学校の先生がこれまでの有様ならそれも結構でしょう。実際退屈に思っている生徒がかなりいますからね。この先も役に立つ勉強として私が確信できるのは古典を読むということに尽きます。そこには、読者(生徒)に聞くことを許さない、学ぶことを強要するからです。

 

 

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

 

 

 

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 つけ加えになりますが、「独我論」についての記事も英語学習を兼ねて書きました。これは自分の考えが万人にも当てはまるだろうという教えることを拒否することを指します。自分だけが正しいという思い上がりではありませんが、こういうあたりさわりの無いのが窮屈な集団を作っているということをいいたいのです。 

 

http://atasteinreading.chips.jp/karataniforum/Solipsism.pdf