文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

これまでの常識がジリ貧に陥る事例

1.サラリーマン

 

 情報社会においては私はまだまだ知らないことが多すぎる。なにしろ理不尽なサラリーマンを25年やり続けているのだから。端的にサラリーマンの定義をいうと、

 

時間を売ってその時間内で言われた業務をこなすということに尽きる

 

 日本の場合、今現在ではその契約はこちらが切らない限り継続できるのだが、この時間を売るというのは、奴隷ではないにしてもそれ以上に苛酷なことを要求される。それが終身雇用の産物なのかもしれない。またそれは国を通して自動的に所得申告ナシの税金を支払わされるし、明らかに世代間格差における不利益が厚生年金という名の税で支払わされているのだから。

 

 サラリーマンが情報弱者だというのは、職場という限られた範囲に縛られて社会を俯瞰できないからだ。橘玲氏によると、サラリーマンも本当は個人授業主であるが、もっとも肝心な会計・財務・ファイナンスアウトソーシングしている。これは会社だけでなく政府からも詐欺にあっているに等しい。自分で情報を仕入れおカネに関する知識を習得できれば、そこそこの余裕は得られ、人脈を築けていけば牢獄からの脱出は可能なのだ。

 

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 さらに今はかつてほどリスクを冒す必要はない。古い用語だが、プロレタリアートとは土地から追い出され生産手段を持たないもののことを言う。しかし今はだれもが容易にスマートフォンを手に入れることができる。それは、かつてリクルート事件で話題になったスーパーコンピューター並みの機能がモバイル化されたものでうまく使いこなせば凄い威力を発揮できるのだが。

 

 

 

  とまあ、自虐から始まって私の情弱度を話したわけだ。

 

2.マイホーム

 ここではそんな私が絶対に損しているあるいは将来不幸になるであろう人についておこがましくも書こうかと思う。まず、マイホームローン。これは一般家庭のサラリーマンが普通に行っていることだが、保証金(頭金)に10倍近いレバレッジ(借金)をかけてマイホームという資産を購入するわけだ。

 

 もちろん、ローンを払いながらも自分のものだから家賃は払わなくて済むが、少子化現象を考えるとその時価価値は急降下まちがいない。よってもうそこにしがみついて生きねばなるまい。地震で倒壊すれば一巻の終わりだ。10年前に今のようなIT社会を予測できただろうか。30年のローンは長すぎるのだ。それに比べると賃貸はフットワークが効く。今は空き部屋がかなり増えてきているから家賃も安く抑えられる。少子化地震大国を考慮すれば一般サラリーマンにとってマイホームは手を出してはいけないハイリスク商品なのだ。危険といわれる信用株式購入のレベルではない。

 

3.貯金

 次に自国建て通貨による預金。これも一見堅実に見えリスクがないかに見える。確かにこの20年はデフレであったし、円高傾向であったからそこそこ蓄えられた人は立派だとおもう。しかし、この国の財政事情と金融緩和政策のいきすぎは必ず円の信用をなくす。事実、安倍政権になってからは1ドル=80円が120円までさがった。これをアベノミクス効果というのは呑気というほかない。今後一層、資産の目減りは続くであろう。外貨、株に金融資産は分散すべきだ。外貨建て株取引だって結構なことだろう。ただし、住宅30年ローンを組んだ人はもうその地点で気の毒だが資産運用は終わっている。これも橘玲氏が再三指摘していることだ。

 

 

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4.大学進学

 実はこれに関しては私自身かなり拘泥した問題なので高見からはいうことはできないがルサンチマンを可能な限り除去して話したい(なんせかなり浪人時代が長かった)。大学の前の義務教育で問題になっていることの本質は

       

        集団の中の個人から始まる

 

ということだ。クラス編成などそれが顕著に表れる。自分の性格とは無関係にともに一つの教室の中で一年ないし二年を共にする。縁ということだが、まず最初はやはり様子見で自己主張は抑えないといけない。出る杭は打たれるで済まず、陰湿ないじめを長期にわたって受ける恐れがある。本当に良い縁に巡り合えればそれは一生の宝物になりえるのだが、テレビドラマや青春アニメのような宝物を得られるより息苦しい時代を過ごした人の方が多いのではないか。

 

 インターネットの普及で集約型の組織が衰退していくのを感じるが、私たちがすごした学生時代の一つ屋根の下、教室内での授業はもはや立ち行かなくなっているのではないだろうか。スマホ一つで自由に移動でき、みずから気の合う仲間を求めていくべきだはないか。

 

 東大を卒業した人または中退した人でさえも「もう大学入らない、スマホ一つで簡単にそれ以上の知にアクセスはできるよ」と大胆にいっている。それにたいする反論の典型が「いやあ、人脈というものがあるんだよねえ」ということだがそれも受け身の縁を前提にしている。大学のブランド価値、義務教育で受ける既得権益を必死に守ろうとする人たちの最後のあがきかもしれないと私は思う。

 

 子供を持たない身で無責任かもしれないのだが、親が子供に学習塾に行かせるのははっきり言って大切なお金をドブに捨てているような気がする。先見の目をもってもっと有意義なことに投資すべきだと思うのだが。市場至上主義者ではないが、経営学部にいかせるならそのお金で事業か投資を経験させた方がいいのではなかろうか。

 

 

            長々とお付き合いありがとうございました。