文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

意識高い系...それだけでは足りない。   アニメ「北斗の拳」を題材に考えた

  最近の言葉で‟意識高い系”は軽侮の対象になっています。まあ現実を把握しきれず空理空論に頼るウザい奴という意味なのでしょうか。この言葉で私が思い出すアニメがあります。

 

北斗の拳」をご存じの方はけっこう多いはずです。日本が元気であったころの80年代に風靡した作品ですから。199X年に核戦争が起きその後の生存者はカオス、無秩序の状況でサバイブしなければいけない。法律はない、貨幣は紙切れ同然で暴力のみが世を支配するシチュエーションです。

 

 とまあ、第一話の部分だけを取り上げましたが私自身はテレビ放送が始まって一年半くらい経ってから見始めたのですがこれが何とハマってしまった。南斗聖拳にはいろんな宗派があるのですがそのうちの6つが最上位のカーストにあります。その拳法の名前は省略させてもらいますが使い手の代表者を表にまとめてみました。

 

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 北斗と南斗が結ばれることで、地上に平和が訪れるのですが、両者の中のつわものたちの中には折れることなく覇権を握ろうとする者がいます。その典型が北斗のラオウ、南斗のシン。そんな中ではなかなか平和はやってこない。

 

 私が、このアニメを見たころはもうすでに南斗の代表者であるこの表の5人は死んだかあるいは自ら消え失せてしまっていました。残ったのは、南斗六聖拳最後の将ユリアです。彼女はその存在だけで人々に希望と勇気を与えてくれます。しかし北斗の者には鎧の仮面で素顔が隠されているためその正体は分からない。もし素顔がわかれば、自称世紀末覇者ラオウは躍起になってユリアを力づくで奪い去るだろうから。

 

 私を惹きつけたのは、拳法を持たない女将ユリアを守る宿命にある南斗五車星たちです。彼ら五人の中にただ一人宿命のために命を落とすことの馬鹿馬鹿しさを感じているものがいます、それは雲のジューザ。宿命のため南斗最後の将を守るという、今でいうと意識高い系の風のヒューイと炎のシュレンは、馬上に乗ったままのラオウに呆気なくやられてしまう。

 

 それに対し、雲のジューザは何物にも縛られず自由気ままに生きます。それというのもある時、彼は最愛に恋人が実は腹違いの兄妹であることを知らされ何もする気になれず魂に抜け殻になったのです。女遊びに夢中になったり、仲間たちと毎晩派手にドンちゃん騒ぎをしてみたりと・・・。南斗六聖拳最後の将のために命を落とす気などさらさらない。

 

 そんなある日、ジューザはいつもの様に酒池肉林にふけっている中何者かによって睡眠薬を飲まされ最後の将のもとに連れ出されたのです。始めはふてくされた態度を見せていたのですが、その将が、鎧をとり正体を見せたとたんジューザは一変した。それは、決して結ばれることのない最愛の女、ユリアだったのですから。彼は命を懸けて、世紀末覇者を名乗り、正統後継者であるケンシロウがいるにもかかわらず、一子相伝北斗神拳をもつラオウに戦いを挑むことを決します。

 

 悲しいのですが、私が最も感動したのはジューザは自らの死は悟っていながらもラオウをユリアの恋人ケンシロウと戦わせるための時間稼ぎだけに自らを犠牲にしたこと、そして自由気ままに生きていた彼が北斗と南斗(ケンシロウとユリア)が結ばれるためだけに地獄の道に突き進んだことですね。

 

 長々とした説明になりましたが、私はケンシロウよりもこの男の生きざまに魅せられてしまったのです。私たちもいろんな理念、夢を語ることはできます。しかしそれを掲げるには、人に知られると恥ずかしいあるいはかっこ悪いほどの愛に支えられていなければ空虚なたわごとにすぎなくなります。ヒューイやシュレンのように。前面に押し出してはいけませんが、原動力としての愛は秘めていないといけないと思うのです。

 

  「北斗の拳」は少年のみに愛読させておくのは惜しいのです。