文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

内向的なひと

 ネクラ、オタクというくくりに入れられた人は、私たちの世代では言うまでもなく肩身の狭いうしろ指を指される存在であった。

 

   それに対して、大学での飲み会でばか騒ぎしたり、弾けられる人は重宝された。彼らは社交性があるとみなされたし私もうらやましいと思ったものだ。ところが社会人になり会社の同僚たちを見渡すとそうではないことに気づく。彼らは本当はそれほど社交性があるわけではないのではないか。飲み会でのはしゃぎ方が痛々しいのだ。

 

 太宰治の小説で「人間失格」というのがある。そこで出てくる中学生の主人公はクラスのひょうきんもので体育の授業での鉄棒で真面目で素のふりをしながらもわざと失敗をしてみんなを笑わせるのである。しかしその中に暗くみすぼらしい一人の生徒が主人公の行為を見抜いて「わざ、わざ」と彼の耳元で囁くのである。大げさにもその主人公は天と地がひっくり返る思いをすることになりこのネクラな生徒を終始監視することになる。

 

 

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)

 

 

 

 私自身にもそんなネクラに似たところがあるようだ。よく観察してみると、懸命に人とコミュニケーションを取ろうとする人も本当は「わざ、わざ」なのではないか。今思えば、小中高生もクラス・グループからの村八分を恐れるあまり明るくふるまう子供って多いのではないだろうか。職場にも日系ブラジル人の方が私に小指を立てて「オンナ、オンナ」といっては道化を演じている。コミュニケーションな取り方があまりにも安易で苛立ちを禁じ得ない。「人間失格」の主人公はごくありふれている。

 

 文学の話になったので、内向的な人と社交性のある人をカッコ付きの「近代文学」「ポストモダニズム」というタームで話そうと思う。村上春樹は80年代によくポストモダンの作家といわれていた。作品にパリにある洒落たお店の名前が出て来たり、「近代作家」なら避ける流行の商品を羅列していく。彼自身も自分の作品を「小説でもなく芸術でもない、ただのリストだ」というようなことをいっていた。

 

 他方、自然主義文学が国木田独歩によって完成されたのだが、文芸評論家としての柄谷行人は独歩の代表作「武蔵野」は風情ある自然を描いたのではない。それは外界に一切の関心を持たない内向的作家によって見出されたものなのだ。いうなれば、肝心なものに目を向けず、どうでもよいものに意識を向ける「主体」「内面」の勝利という転倒によって作品化されたのであるというのだ。

 

 そして、村上春樹の洒落た文体もポストモダニズム的作品というより「近代文学」の形式的再現にすぎないともいえる。「1973年のピンボール」は熱心に学生運動をする若者をよそに主人公は必至にピンボール遊びに戯れる。それを柄谷はこう指摘する。

 

繰り返して言うが、これは国木田独歩以後の「近代文学」にあったものであり、その反復である。言い換えれば、「闘争」を放棄し且つそのことを絶対的な勝利に変えてしまう詐術の再現である。村上春樹は「内面」や「風景」を否定したかのように見える。しかし、実は彼がもたらしたのは、新たな次元での「内面」や「風景」であり、その独我論的世界が今日の若い作家たちにとって自明のベースになったのである。

          柄谷行人村上春樹の『風景』」

 

 

 

内省と遡行 (講談社学術文庫)

内省と遡行 (講談社学術文庫)

 

 

 こうして考えてみると、社交的であるということは肝心なことに目を背けることで成しえることが多々あるのだ。 その証拠に柄谷は村上の小説に固有名詞が著しく少ないことを強調した。ここでいう固有名詞はそれを用いるものの態度で決まる。

 

  たとえば、”1984”は西暦を表す普通名詞いわば記号だ。だが、オーストラリアで全体主義が台頭するというSF小説『1984』においてはそれは単なる記号ではない。そこには恐怖が入り込んでいる。余談だが、実際にその年に高校2年生として過ごした私にとってはかけがえのない年で何らかの機会でこの数字を発見すると条件反射で嬉しくなる。つまり‟1984”は私にとって固有名詞なのだ。冷めた気持ちで扱いえないのが柄谷行人のいう固有名詞なのだと理解できる。

 

 その意味で村上春樹の小説には固有名詞がないというわけだ。2・26事件を擬して死んだ三島由紀夫という固有名詞は普通名詞として流している。

 

 我々は林を抜けてICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジに座ってホットドッグをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障していたせいで、音声はほとんど聞き取れなかったがどちらにしてもそれは我々にはどうでもいいことだった。

       村上春樹羊をめぐる冒険

 

 

 癒しの自然を発見したのが国木田独歩なら、こうしたポストモダニズム的風景を発見したのは村上春樹なのだ。両者ともに内向人間であったことを見落とすべきではない。村上以後の作家は、彼らの意図的な転倒すらも知らず「風景」「内面」を描写しているのだが、それが政治的なものからの闘争であることを知る由もない。

 

 私は柄谷行人さんの信者ともいえるのだが、彼の数々の名言の中でも「内省と遡行」のあとがきに金科玉条としている言葉がある。外部に開かれた内面それを徹底的に考え抜いた後の言葉である。それで締めくくりたい。

 

 私は積極的に自らを《内部》に閉じ込めようとしたといってよい。この過程で、私は二つのことを自分に禁じた。一つは、がうぶを何かポジティブに実体的にあるものとして前提としてしまうこと。なぜなら、そのような外部はすでに内部に属しているからだ。それは主観性を超えるどんな外的な客観性も、それとして提示されるならば、すでに主観性の中にあるというのと同じことである。第二に、いわばそれを詩的に語ること。なぜなら、それは最後の手段だからだ。そして、実際には、ありふれた安直な手段だからだ。私は可能な限り厳密に語ろうとした。いかなる逃げ道をもふさぐために。

 

 困難はこの二つの拘束から生じている。しかし私は不徹底且つ曖昧な言説にとどめをさすために、この不自由で貧しい道筋を積極的に選んだ。したがって私は「内省」から始める方法において可能なぎりぎりのことをやったという自負がある。

 

 最後まで読んでいて頂きありがとうございました。

 

 

 

kenji-tokuda902.hateblo.jp