文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

英語教師に何が残されているか(1)

 タイトルはハイデッガーの言葉「哲学者に何が残されているか」の借り物です。

 

 この問いはサイバネティックスの登場によって哲学者の仕事すらも奪われようとしていることに対する切実たる脅威から来ています。しかし、今のIT技術の進歩はそんなものではない。10年後はほとんどの職業はなくなっているだろうといわれるほどなのですから。

 

  1. 公教育における語学の現状とその意義
  2. ‟お勉強”について私事の経験
  3. 英語教師に何が残されているか

 

    

1.公教育における語学の現状とその意義

 先ずそのことを前提にして話は進めるべきだと思うのです。私自身は、教壇に立って英語を教える職業ではありません。ただ、教育とくに語学教育には人一倍思い入れがあるのです。それでも、機械的に処理される翻訳より血の通った人間が行う訳出の方が尊いなどいうつもりは微塵もありません。実用、速度に重き置くならグーグルの方が長けているでしょう。

 

 そう考えるなら、英単熟語のテストを頻繁に実施し採点している先生は何の価値があるのでしょうか。もうスマホがある以上暗記に重点を置くのは愚かとしか言えません。

 英文法の公式にしても、能動態と受動態のたんなる変換、仮定法を現実法への書き換えをワンパターンで伝授する教師も間違いなく要らないでしょう。ただし公権力の及ぶところですから一筋縄でいくとは思いませんが。

 

 最も高度な分野とされている構文解析はどうでしょう。前に「形式主義」ということについて記事を書きました。

 

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 これは文学などの作品に対し、距離をとり意味内容を括弧に入れることで、語レベル、句レベル、節レベルでの関係を記号(S ,V ,O ,Cなど)でとらえようとするものです。その上で、和訳を行うわけです。しかし、この水準ならばITの真骨頂なのですよ。

 

 

2.‟お勉強”について私事の経験

 ところで、教職についているわけでもない私が学習に執着し、サラリーマンでありながらも学生への憧憬、教師批判に拘泥するのか突き詰めてみたいと思います。私個人の歴史は、現役時に大学入試に失敗し浪人する羽目になってしまったのですが44,5人のクラスメートの中で2,3人の存在だったのではないかと記憶しています。情けなかったですね。一年後、背伸びして模試でもほぼ合格不可能の大学を受験し見事に国立大2校とも不合格でした。その後はほとんど定職に就くこともなく、アルバイトをしながら自宅で本を読んだり受ける気もないのにそのまま受験英語の勉強をしていましたね。宙ぶらりん状態で何をしてよいのか分からなかった。そして当時はフリーターという言葉も今ほどネガティブに受け止められることはなかったのです。ただ、今の現役世代の人が聞けば怒り心頭になるのでしょうが、サラリーマンになるということはそれで自分の人生が終わってしまうような寂しさはありましたね。

 

 本心からか損得からかいろいろな感情が入り混じって<勉強>は続けてきました。会社員になった今でさえも。私自身はスムーズに大学には入れませんでしたが(社会人入学や通信制度などあの手この手を使った学歴ロンダリングで修士課程中退のクラスまでは昇りましたが)そんな自分でさえも、近年の学歴価値の激減は今までの努力が水の泡になるのかと考えてしまいますね。これは実存主義レベルの域です。シェストス不安、絶望の哲学といえば大げさでしょうか。興味のある方は検索してみてください。

 

 

3.英語教師に何が残されているか

 今日のテーマでは語学教員、研究者がこの時代の転換期において既得権を失いつつある脅威に晒されているという事実です。この時にいろんな書物を引っ張り出して考え慰めたことは、20世紀の大思想家マルティンハイデッガーの問い、「哲学の終わりにあたって、いかなる使命が思惟のためになお温存され残っているか」という問いが私に希望を与えてくれます。

 

 人工知能AIに対し、人間性というものを詩的に語ることは哀れ以外にないです。ハイデッガー坂口安吾と同じように「堕落」という言葉を使っていますがこれはネガティブに用いられています。人間というものは本来死に向かっている、それに目を背けているものだから生の躍動を得ることはできないというわけです。これが意図せずナチスファシズムに加担したことは有名です。しかし、安吾の「堕落」は人間を人間たらしめる論理は無根拠性にあるというのです。

 

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 20世紀の天才科学者フォン・イノマンはコンピューターを開発し始めたが実はその時から安吾の倫理的無根拠ではなく、論理的無根拠の存在は知られていました。

 ゲーデルがその不完全性定理で示したように、初等数論(算術)には固定的な公理的方法の限界の中に納まりきれないような、そしていかに複雑、巧妙なメカニズムを内蔵していても、またその動作がいかに速くても、コンピューターには回答できないような問題が無数にある。

      「ゲーデルの証明」   E.ナーゲル 

 

 

ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ

ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ

 

 

  

 初等数論においてもそうなのです。言語学、翻訳という問題になればグーグルに解決できないことは必ずあるはずです。希望を持ちましょう。

                              つづく

 

参考までに

  ハイデッガーとサイバネティックス

 

 上の文献と同じものですが、有料になっております。ダウンロードされる方はどうぞよろしくお願いします。

続・形式の地位 ~ハイデッガーの実践