文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

恥と畏怖はちがう!  「書く」という行為をめぐって

 司馬遷生き恥をさらした男である』

 

 これは、武田泰淳の『司馬遷史記の世界』の書き出しです。これは太宰治の言う恥と似て非なるものです。どういうふうに違うのか、考えてみます

  1.  関係の項としての人間
  2.  絶対者でなく関係項の始皇帝
  3.  政治的挫折、逃走した私小説作家の恥
  4.  文学者にとって「書く」ということ

1.関係の項としての人間

 司馬遷は、前漢武帝を怒らせて死刑か宮刑(去勢)かの選択を迫られて宮刑を選び、これまで綴ってきた『史記』を完成させようとしたのです。特筆すべきは、彼が生き恥をさらしてまでも記録を書いたということです。理念や心情ではなく。人は憤り、恥ずかしさから記録を書くでしょうか。

 

 

 屈辱を晴らしたければ情念をありのまま思う存分書けばよい。なぜ記録を書いたのでしょうか。 武田は、当時よく「多くの作家、歴史家は『人間』というものを描いていない」といっていたそうです。ただしこの「人間」は個々人に備わった性格・キャラクターとは無縁です。

 

 ・・・個人の運命ではなく、中心をつくりなす人間の連関が問題にされている。「世界の中心」を立体的に眺め、その運動の法則をとりあつかうことにより、個人の性格が歴史的に如何に重要なものであるかが、はっきりと示されてくるのである。「怒り」や「笑い」や「勇気」や「焦燥」や「智慧」やそうした個人的な感情、倫理、能力の一つ一つが歴史の絵模様の面にあざやかに浮き出してくるのは、まさにこの時である。

            司馬遷~ 史記の世界」

 

 

これは一人一人の人間というのを諸関係の結節点ととらえるマルクスの思考に似ています。

 

 

 

司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)

司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)

 

 

 

 

2.絶対者でなく関係項の始皇帝

 かつて文芸評論家の柄谷行人は武田の言う恥はナルシスティックな自意識とは違いある関係またはその変化を感知するところから生じるものだといいました。

 

 たとえば秦の始皇帝、世界の中心・絶対者である彼は世界の中にいなければならず天に昇ることも死ぬこともできないということです。絶対者として民衆に恐怖を持たせることで天に向かおうとするが、いつも個人の殻に帰ることになってしまう。中心とはピラミッドの頂点ではなく、最も多くの人間と関わらなければならないという世界内存在の立場のことを言うのです

 

 またさらに、始皇帝臨終の情景は、生前の厳然たる模様が詳細なだけに、アッとばかりに人を驚かすものがある。絶対者の死、「世界の中心」の死、世界統一者の死と云うだけでも、人目を惹く歴史的事件である。殊に、本紀の中にそれをとりあつかうとすれば、さらに問題は大きくなる。しかし、司馬遷は、きわめてさりげなく、簡単明瞭に書きつけている。「始皇は死と云うことをきらった」と書いている。「始皇、死を云うことを悪む。」地上の絶対者が、死にあたってなおも生命にしがみつき、帝位の上で執念のほむらにとらわれていた情景は、この一句に尽きている。

     『司馬遷~ 史記の世界』

 

  これは文字通りに始皇帝が単に自分の命を大事にしていたというわけではないのは明らかでしょう。高見で君臨する絶対者としてでなく、関係項の最も大きな結節点の消滅を恐れたのです。現にその後おこったことはカオスで、宦官趙高は、彼の調子を後継者にするという詔を隠し公表せず自分の末子胡亥を立ててしまいました。

 

 

《 暑さのため、思考の屍を載せた車が臭いので、おつきの役人に命じて、車には各々塩漬けの魚を一石ずつ載せさせ屍の臭気をまぎらわした。》

 

上手く中心の不在、そしてそのことの恐怖が描かれていますね。

こういう政治的人間のことがこれまでほとんど書かれて来なかったわけです。恥の意識にしたって同様です。内面作家は暗黙に自己を絶対化するのです



3.政治的挫折、逃走した私小説作家の恥

 治安維持法によってマルクス主義運動は壊滅し、プロレタリア文学者は私小説作家に転向しました。その時期は「文芸復興期」と呼ばれる時期で、大正的な自己充足空間へ回帰した時期でもあります。多くの左翼インテリはニヒリズムに陥ったが、他方ではドグマ的な教条から解放されたのでもあったわけです。川端康成はこの流れに乗ったのです。

 

 

 もう一つ、1935年は「近代の超克」という議論が知識人の間で盛んに行われました。その中心核に日本浪漫派を代表する保田與重郎がいました。それは根拠を軽蔑し、軽蔑すべき無根拠を積極的に選ぶのです。そこで自意識、内面の勝利が確定するのです。ここではまだ「他者」「現実」というものが意識されているわけですが、柄谷の読みでは、川端の『雪国』はそれらすらも消去してしまうのです。

 

ノーベル賞を受けた川端康成の『雪国』は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」で始まる。主人公にとって、トンネルの向こうは別世界である。妻子のある主人公がトンネルを抜けてこの世界に入るかどうかは、彼の気分次第だ。彼はいつでもそこから引き返すことができる旅行者にすぎない。彼が温泉の芸者たちとの愛の関係に苦悩したとしても、彼はそこで傷つくことはない。傷ついた女たちを冷静に眺める主人公の自己意識は揺るぎもしない。なぜなら、別世界であるにもかかわらず、彼は何ら「他者」に出会っていないからである。

             「歴史と他者」  柄谷行人

 

終焉をめぐって (講談社学術文庫)

終焉をめぐって (講談社学術文庫)

 

 

 

 

 

4.文学者にとって「書く」ということ

 1930年代半ば、プロレタリア文学作家の転向し私小説作家になったのに対し、武田泰淳は左翼運動から脱落し地主階級であった寺院に依存し、さらに愛する中国に兵士として侵略することを強いられたのですが、そうした転向からくる罪悪感はあったとしても,その過剰なまでの自意識の恥そのものを恥じたというべきです。

 これにひきくらべ、中国は滅亡に際して、はるかに全的体験が深かったようである。中国は数回の離縁、数回の姦淫によって複雑な成熟した情欲を育まれた女体のように見える。中華民族の無抵抗の抵抗の根源は、この成熟した女体の男ずれした自信とも言えるのである。                    

          「生々流転」解説   武田泰淳

 

 これを読むと『雪国』の美しくはかない女たち=日本は近代的自意識がつくった夢想にすぎなく見えると柄谷行人はいいます。ここで先の問いに戻ります。人は「憤り」や「恥ずかしさ」から歴史の記録を綴るのか?武田も司馬遷も二重の意味で恥をかいた。一つは転向(武田)、宮刑司馬遷)という歴然とした事実について。そしてもう一つは、こちらの方が重要なのですが書く内容ではなく、書くという行為そのものについてです。

       

  「書く」ことは単に出来事を記録することではない。文字以前の社会では、出来事は単に記憶されればよかった。それは彼らの記憶力が良かったからでも出来事が少なかったからでもなく、出来事がたえず神話的構造に還元されてしまうからである。出来事が出来事として、もはや構造に吸収されないものとして生じたときに、はじめて歴史的社会になる。だが、それは出来事そのものが異なるからではなくそれを経験する者において、構造的な分裂が意識されているからである。「書く」事は出来事を記録するために生じたのではなく、書くことによってしかこの分裂を統合できない危機から生じたのだ。『古事記』は神話ではなく歴史であるが、それは『歴史的事実』が書かれているという意味ではない。もはや口誦によっては統合できない分裂が彼らに「書く」ことをうながしたのである。文字は音を写すものではなく、「書く」ことはつねにそのような構造的分裂を背後に持っている。したがって「書く」ことは、最初から残酷なものがひそんでいる。              

                   「歴史について―武田泰淳」 柄谷行人


 ある出来事、本人にとってこれまでのパターン習慣とは違う何かを感じた人間の恐怖=恥から書かれた作家は読むに値するものなのです