文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

ポスト英文法宣言!

1.英語の副教材を作成してみました。

 

 Crisis ~信用の危機について

  

 

 

 

 私はサラリーマンですので、教職についておられる先生方のように詳細な文法には配慮できていませんし、プロフェッショナルな予備校の先生レベルの読解力も備えておりません。ただ、文科省からの指導もなく、受験生と受講料を支払う親御さんたちからのバッシングからは自由です。 私がこんなものを作成した背景には、公教育特に英語教育に関しての不満があったのです。

 

 学校で教えてくれるのは「文法のための文法」で「英文読解のための文法」ではない。この副教材を書く前に先ず体系的な文法書を提示すべきだったのでしょうが英文を読むことの楽しさを体現して頂きたくまず投稿した次第です。その過程で出てくる構文と文法については解説しています。

 

  ITの翻訳機能が充実しつつある今の時代に、英語は必要なのかという人もおられますが、それは実用英語という狭い範囲、稼げるための領域でしか見ていないのではないでしょうか。確かに、英語の学習に時間とカネを費やすより、もっと学ぶべき必要な分野はあるでしょう。経済・経営学、プログラムといった実用はもちろん若いうちに習得するに越したことはない。

 

 でも、日本語と英語というのは何とか訳出はしていますが本来ちがったものです。ややこしい話かもしれませんが言葉というものは手段ではありません、独自で存在する生き物なのです。この生き物相手に対話をしていきませんか。スピードがものをいう時代、実用性はロボットにとってかわられる日が来るのもそう遠くないでしょう。その流れが推し進められれば、逆に抑えられていた「人間」とは「主体」とはといった哲学が再浮上する契機が訪れなくもないですよね。ぼくは、ある年月を経過してそういうことを考えたいのです。それは日本語より英語の方がパワーを持つ。

 

 悲しいかな、今は一人でやっていますがもっと本格的に語学・文学をやってこられた方がおられれば編集作業あわよくば先生になれる人も依頼するつもりです。

 

 

 

 2.作成した教材は『Crisis』 

Crisis~ 信用の危機』は失われた20年といわれている日本経済を思い浮かべながら書きました。この長期低迷はデフレつまり通貨が流通しないでため込まれていることにあります。「おカネは物の価値を図る尺度にすぎない」または「やりたいことがあるなら借金して調達すればよい」などと啓蒙し経済を活性化させようとする論客もいるのですが、彼らは通貨と貨幣を混同している。これは19世紀の自由主義時代、アダム=スミス、デヴィド=リカードらに依拠する古典派経済学者が重商主義・重金主義者らを嘲笑するときにもあった傾向である。 

 

 この時代のカール=マルクスはルンペンのようなプロレタリアと重商主義者をそれぞれ、「狂気な資本家」「合理的な守銭奴」といって軽蔑はしたが嘲笑はしなかった。貨幣は宗教的な倒錯に根付いている。貨幣を媒体、尺度とみる古典派にとっては売る=買うとなるのだがマルクスの価値形態論は売りと買いの非対称性を詳細に説いている。そこから信用、「売れたことにしておく」という制度が生まれたのだが、本当は貨幣そのものが信用であるということなのだ。

 

 今日では電子マネー、仮想通貨など流通速度を上げるツールが出揃ってきましたが、それが、功を奏するか見定めないといけないでしょうね。恐れ多くもマルクスを援用しながら貨幣の持つ宗教性を解説・要約してみたのでどうぞ購読のほうお願いします。

 

 

Architecture as Metaphor: Language, Number, Money (Writing Architecture)

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kenji-tokuda902.hateblo.jp

というこれまでにはあまりなかったような、読者と著者との対話重視という視点で解説しようとするブログもやっておりますので宜しくお願い致します。