文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

平行線は交わるのか― 非ユークリッド幾何学と一人の文芸評論家

「平行線は交わる」という公理

 

 ユークリッド幾何学は第5定理として「平行線は交わらない」を基礎に置いている。

 

 つい数年前まで、私はずっとこれを当たり前のことと思い疑うこともなかった。そもそもそんなことを定理にしていること自体知らなかった。でも、永遠先にも交わらないという証明はありえない。有限に生きる人間にとっては

 

 それに対し、非ユークリッド幾何学は「平行線は無限遠点で交わる」という公理を立てそこからそこから演繹して別種の体系を無矛盾に創り上げたのだ。それが、真であることに意味はなく無矛盾でさえあればよい。これはこれまで唯一の真理であるとされてきたユークリッド幾何を根幹から揺さぶるものであったことは確かだろう。

 

 経験的、感覚的には「平行線は交わらない」。だが非ユークリッド幾何学が明瞭にしたのは数学は知覚、現実から独立していなければなら図、それが厳格ということになる。ただしそれは隠れた真理であるものを発見することではなく、真理の発明、でっちあげなのだ。そしてはっきりしたことは理解できていないが、平面ベースから球面・時空間をベースにすると「平行線は交わる」らしいのだ。つまりユークリッド幾何にもそれが応用できるのだ。

 

 数学ははじめから発明の連続で応用数学である

 

 ウィトゲンシュタインは数学は一つの体系のみがあるといっているのではない。別の公理体系を持ったものとの関係から構築されたり破壊されたりするわけだ。

 

 

論理哲学論考 (岩波文庫)

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無限遠点と他者の排除

 

 1980年代の柄谷行人は、のちに自身が言うように資本主義を肯定していた。そこで起こる諸矛盾はその時々で揚棄していくしかないと(それが可能なのは批判すべきソ連が現存していたからなのだが)。その彼は当時、規則を共有しない他者論を積極的に語っていた。

 

 このユークリッドと非ユークリッド無限遠点で和解することに対する拒絶として、かつての文芸評論家の片鱗をここでも覗かせる。取り上げる作品はドストエフスキーの最高傑作『カラマーゾフの兄弟』。

 

 ところが、どうだい、ぎりぎり結着のところ、僕はこの神の世界を承認しないのだ。この世界が存在するということは知っているけれども、それでも断じて許容することができないのだ。僕は何も神が存在しないといってるんじゃないよ、いいかい。僕は神の創った世界、神の世界を承認しないのだ。どうしても甘んじて承認するわけにはいかないのだ。ちょっと断っておくが、僕はちっぽけな赤ん坊のように、こういうことを信じているんだ、 -いつかずっと先になったら苦痛も癒され償われ、人生の矛盾の忌々しい喜劇も哀れな蜃気楼として、弱く小さいものの厭わしい造りごととして、人間のユークリッド的知性の一分子として消えてしまい、世界の終極においては、永遠な調和の瞬間に一種たとえようのない高貴な現象が出現して、それがすべての人々の胸に充ち渡り、すべての人の不満を満たし、すべての人の悪行や彼らが互いに流し合った血潮を贖い、人間界に生じた一切の事を単に赦すばかりでなく、進んで弁護するに足るほど充分であるというのだ、- まあ、まあ、すべてこの通りなるとしておこう。しかし、僕はこれを許容するということができないのだ。許容することを欲しないのだ!たとえ平行線が一致して、僕はこれを自分で見たとしても、- 自分の目で見て、「一致した」というにしてもやはり許容しないのだ。

         「カラマーゾフの兄弟

 

 

 

 

 なんと味わいのある台詞なんだろう。傑出した文豪作家のこの台詞を私たちはどう解釈できるのか?もちろん、膨大なページ数からなる作品の一部を取り出しただけだから解りづらいが、最初に私が導入した非ユークリッド幾何を参照にしてほしい。

 

 

 

 「他者論」にのめりこんだ柄谷行人の批評はこうだ。

 

 ドストエフスキーの見出す「無限遠点」は「終末」などではなく、身近に賤しい姿でいるキリストなのである。ドストエフスキーの「非ユークリッド的概念」があるとしたら、それはいわばキリストとの同時性(キルケゴール)において変容される時空間なのである。《キリストを基礎としてその塔は築かれている》。

 

 たぶんドストエフスキーの小説もそのように築かれている。しかし、それは確固たる「基礎」を持っているのではない。なぜなら、キリストは「躓き」にほかならないからである。だが、《他者》が存在し、かつ、どんなに危ういものであっても、自己と他者の平行線が交わる特異点が存するということ、これがドストエフスキーの小説を、独我論(モノローグ)的世界から変容させたのであり、「彼の小説世界の統一をつくっているかすがい」なのである。

       「探求Ⅰ」   柄谷行人

 

 

 パーフェクトな読みだ。わたしたちはこの無限遠点と特異点の違いに留意すべきなのだ。

 

 

            最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

差異としての場所 (講談社学術文庫)

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