文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

今は死語となった哲学者たちのあがき

プラトン以来つづく哲学者の奮闘

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というサイトの更新を更新しました。(SECTION1-1)

 

 取り上げた例文は古代ギリシャの思想家プラトンから始まる哲学の建築という高尚なテーマであります。プラトンは紀元前5世紀の人物ですから今から2400年以上も前に生きた人なのですね。哲学というのは、決して強固な土台のもとに演繹的に積み上げられてきたものではないのです。貿易・交通・戦争といった異なる価値観を持つ外部との関係、カオスとの中で懸命につくりあげたものでアプリオリに真ではありません。悪くいえばデッチあげなのですが、それを私たちは否定できません。真理というのは永遠のものではなく今生きている現実の中にしかないということを言いたいのではないでしょうか。いうなれば、無、基礎の不在の中から創り上げていくよりほかはないということなのです。

 

コミュニケーションについて

 もう一つの例文はコミュニケーションをとりあげました。本来コミュニケーションの始まりは共通の基礎を持たない他者との関係であります。子供や外人に私たちは普通に言葉を話せない。はじめは身振り手振りで苦闘しながら文法なるものを説明していっていますね。その起源に無頓着でありながらコミュニ―ケーションの重要性を説く人もおられますが。

 

 そのことについて、さらに古典派・新古典派経済学への批判へと広げています。パレートの均衡理論は貨幣というのはたんなる道具で売る=買うということになってしまいます。そうではないのです。貨幣というのは、コミュニケーションの逃避、売るという立場の逃避から現れたものだということをいっているのです。今現在も、重金主義者を嘲笑する啓蒙家もいるのですが、売ることと買うことは別次元ということを見落としているというわけですね。コミュニケーションをたんに<話す―聞く>くらいの関係で見ているように。

 

   このようなことを今回はとりあげました。参考までに立ち寄ってみてください。

 

 

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