文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

童話作家アンデルセンの孤独

 カントの没価値

 私たちは、ある出来事について少なくとも3つの側面から判断を下すと哲学者イマニエル=カントは言いました。一つは真・偽という科学的判断、もう一つが善・悪の道徳的判断、最後が快・不快という感情的判断なのですが多くの人はそれを峻別して用いることに長けてはいないのではないでしょうか。科学的論理的に考えながらも感情が入り込んだり、道徳を持ち出す際にも嫉妬心から優位に立っている人を古いパラダイムに従って排除しようとしてはいないだろうか。カントはそれまで入り混じったあやふやなものから明確に3つの判断基準を抽出したわけです。それが『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』に相当します。

 

純粋理性批判

純粋理性批判

 

  最近の医者は人間性にかけるといわれますがそれは間違いの場合もあるのです。外科医がオペの際に血を見て気絶してるようでは駄目で患者を手術中はモノとして扱わなければならないのです。モノとして扱う態度が非難されるのは、他の判断を括弧に入れて科学的判断のみを基準にしていたのだが後になっても括弧を外さなかったからだというのです。いつでも,何に対しても物事を科学的にとらえようとするのではいけない。

 

 スピノザのいう倫理=エティカ

 でも私たちの多くは、物事を快・不快の感情でとらえているのではないでしょうか。感情というのはスピノザがいったように個人の自発性によるものではなくて受動感情なのです。だからこれを括弧に入れようとするには相応の意志が必要です。そもそも自由意思はないといっているのですから。そう思い込んでいるのは激しい情念のせいかあるいは自分が属している共同体の道徳を刷り込まれているに過ぎないと。この自由意思の否定で、スピノザは人々に受動感情を抑えさせ、しかも道徳でなく倫理に向かわせたわけです。

 

エティカ (中公クラシックス)

エティカ (中公クラシックス)

 

  

エゴイスト、アンデルセン

 19世紀の童話作家アンデルセンは優しい善良な人柄で多くの人々に慕われていました。ところがこの作家のセンチメンタルを疑い、非情冷酷なエゴイストを見たのは花田清輝。もちろんアンデルセンを貶めるためでなく彼の幻影を払拭し本当の価値を明るみに出すという高邁な目的があったのです。

 

 彼の出発となる最初の童話集には4つの話があります。第一作は彼の孤独と困窮が書かせた「火打ち箱」。お金を奪ったうえで魔女を斬り殺すわ、あの手この手で巨万の富を得る。挙句の果てにコペンハーゲンの王様と女王様を大きな3匹の犬に食い殺させ王女と結婚してしまうのです。ほぼ同時代の作家、ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公も老婆をころし延々と「あれは高利貸しで世のためいなくなった方がいい」だのと悶々としているのと対称的に、アンデルセン自身を投影したであろう「火打箱」の主人公はなりふり構わず潔い。生きることに必死で、道徳・法律を括弧に入れている。

 

 第2作は「小クラウスと大クラウス」。この二人の主人公もカネのためなら何でもする。自分たちのお婆さんを殺して街まで売りに行く。善悪関係なく必死なのです。こういう原点があるのだといえばアンデルセンファンなら眉をひそめることでしょう。

 

 第3作「豌豆と王女」はどうか。ここはアンデルセン独特の優しさがにじみ出ているように思われます。二十枚の蒲団の上に寝て一番底に置かれた一粒のえんどう豆のために一晩眠れなかった王女の話です。花田清輝はここでも強引にアンデルセンのエゴイストを引き出す。「人々とともにわれらにパンを恵みたまえ、と祈りその後で自分にだけバターをたっぷり塗ってください」という同作家の「絵のない絵本」を引き合いにして。アンデルセン自身がこういう感受性の持ち主と結婚したいと望んでいるというわけです。つまり自由な意志はない、自由であろうとする意志のみが個に根ざした倫理を生むのです。

 

  4作目こそ多くのファンが彼の真骨頂とみなす「小さなイダの花」。真夜中にダンスをする花々の話で一級の空想家の傑作と言えよう。だが待ってください。反対にアンデルセン嫌いの人は動植物、古い家、古い着物などにも同情を寄せる「きれいごと」で一蹴してしまうかもしれませんが、この抒情作品には狭い共同体の道徳に対する鋭利な批判が忍び込まれているのです。彼は同情しているわけではない、パラドキシカルだが耐え難い孤独を持っていたがために木や花やいすやコップの声に耳を傾けることができたのです。ここではカントのいう<善悪><快不快>の一切を括弧に入れようとする強靭な意志がはたらいているのです。

 

 花田は狭い共同体の道徳をフロイトのいうところの「トーテムとタブー」で重ね合わせています。アンデルセンは原始人が想像するアニミズムを信じていませんからタブーを犯すのも平気なのです。彼はそれ故に科学的であろうとし、既成の道徳ではなくスピノザのいう倫理(エティカ)に向かったのです。そうした価値基準を踏まえたうえで「みにくいアヒルの子」を読めば感動とは違う確たるモノが得られるはずです。

 

                   読んでくださりありがとうございます。