文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

近代の超克

 あるブログでマルクス主義研究者の松尾匡氏の本「新しい左翼入門」が紹介されていた。右翼が国家に関して内/外、左翼が経済に関して下/上のそれぞれ第1項を味方にしているという説明は、これまで曖昧に使っていた用語に明瞭な輪郭を与えてくれます(図1参照)。よって左翼と右翼は対立するものではない。小泉氏は政治的、選挙時には右つまり愛国を抱えていたにもかかわらず、当選後は左翼でもなく80年代初頭のサッチャーレーガン新自由主義に突き進もうとした。ブレーンに竹中氏がいたのも大きな要因だったのでしょう。

 日本固有の終身雇用にメスを入れようとした。非正規労働の解禁も正規/非正規というよりもルーティーン/スペシャリストという意味に逆転したかったのではないでしょうか。入社してから安住し続ける正社員をへらし、適材適所に労働市場が働くようにしたかったのだと思います。これがいわゆる左翼の力でやれば国家は限りなく強固なものになりますから。また短期的には、失業、消費の低迷といった問題が発生するのですが、これが右翼の「内」で解消しようものならファシズムに帰結してしまいます。

 近代国家の成立以来、この「反左翼」「左翼」「右翼」はバランスを何とか保ちながらリンクしてきたのではないでしょうか。各人が経済的に自由気ままにふるまい格差が生じると「内」という民族感情が生まれそれから国家による経済的規制、税による再分配が行われる。このバランスが崩れる度に宗教的原理主義ファシズムスターリン主義が台頭してきたのではないでしょうか。

 ベネディクト・アンダーソンによると国民国家とは異なる原理を持つものの結婚なのだが、柄谷行人はそれ以前にもうひとつ異なる原理を持つものの結婚がありそれは資本と国家の結婚で絶対主義だといっています。ある封建諸侯が商人資本と結託することで他の諸侯を打倒し富と暴力を独占する。そしてその後のブルジョワ革命で三位一体の体系が構築されたのです(図2参照)。絶対君主は滅んだかに見えるがそれはただ空席の状態に過ぎない。17世紀のイギリスと18世紀末のフランスで起こった市民革命以降、資本ー民族(国民)-国家はそれぞれ補完しながら存続している頑強なものでいったん構築されればその円環を壊すことは難しいのです。

 宗教的原理主義ファシズムそしてスターリン主義はこの三位一体構造の極端な現象であるがそれらはイレギュラーでは決してありません。これらの内の二者が衰弱したときに補完するために現れるものなのです。これらを私たちが否定したいのなら最もバランスの取れた福祉国家社会民主主義の根幹となっているものを見直さねばならないのです。

 

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

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