文学者たちの痕跡

忘却されつつある文学者の闘争について書きとどめておきたいと思います。

正々堂々でいいのか。高校野球。

 近年、中学・高校の部活の闇がメディアでも取り上げられる機会が多くなってきた。特にこれまでの高校野球は甲子園への道のり、またはそこでのファイトに異様なまでの美談が報道され続けてきたがようやくその裏側も取り上げられるようになった。ぼくは1992年の星稜対明徳義塾戦をテレビでみていたのでそこに焦点を絞りたい。勝者の真淵監督は昨年のある雑誌でのインタビューで松井対策は3つあったといっていた。

 ひとつめが打たれることを恐れず正々堂々と勝負するということだが監督にとってそれは論外だった。公立高校の監督でよくある台詞「お前たちはよくやった!社会に出ても胸を張って生きて行け。」とかいうものへの嫌悪感があったようだ。まさしく美談。真淵氏はまさしく勝つことにこだわった。

 そしてあとの二つの選択に悩んだそうだ。二つ目は松井選手に胸元へのインハイを攻めホームベースからのけぞらしアウトローをひっかけさせ内野ゴロで打ち取る。ただしこれはかなり危険な攻めだ。観客から見れば勝負しているかに見えるが本当のところ卑怯な勝負だとお考えになられていた。

 そして考え抜いた挙句が、あの行為つまり5打席連続敬遠だ。ギリギリの選択であったのだ。当時は避難轟々で嫌がらせの電話、匿名はがきがひっきりなしに来たらしいが、今ではその当時を俯瞰して「あの勝利が長い闘いの歴史の中でも最も誇れるものだ」とおっしゃっていた。普通のサラリーマンならあの状況に追い込まれたなら自殺を考えてもおかしくないだろう。甲子園の美談を刷り込まれた高校野球ファンの集中攻撃は凄惨のものだったのだ。

 真淵監督には自分が教育者だという自覚はない。おそらく技術屋くらいにしか考えておられないかもしれない。しかし彼こそ教育者だ。当時つらい目に遭った選手たちが今でも練習の手伝いに来てくれるらしい。近年、彼の言動に注視している。敗北後、宿舎で3年生にかける言葉が厳しいもので慰めは全くない。すべてが終わった3年生に「なぜ負けたのか一晩真剣に考えろ」だ。修羅場をくぐったひとだけのことはある。無責任な美談で終わらせたくないのだろう。